織田信長が最もひいきした家臣で戦国時代の人気キャラクター、森乱丸(森蘭丸・森成利)の生涯を探る。

君主に説教をする度胸

主従を超えた関係3 君主に説教する乱丸

森蘭丸

※乱丸の人物像を知る上で参考になる逸話があるか、実話であるかどうかの真偽は不明である。

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信長が鷹狩に行って、休憩のためにある農家に入った時に大きな地震が起こった。
お供の者達は驚いて外へ飛び出していったが、信長は家の中に留まり、信長の側には乱丸だけがそのまま残っていた。
地震が治まってから信長は外へ出た。
そして、乱丸が言う。
「君主があのような危険な場所に居るべきではありません。天下取りの大事を成そうとお思いなら、あんなくだらぬ危険をおかすべきではありません。」
これには信長も感じ入って、乱丸の言うことを素直に聞いていたという。

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天正10年(1582年)5月29日、羽柴秀吉の応援の為、信長はわずかな数の家臣を引き連れ、京都の本能寺に入った。
6月2日未明、本願寺は明智光秀の1万3千の軍勢に取り囲まれる。
馬の嘶きや物音に目覚めた信長が乱丸に様子をうかがわせた。
森乱丸は信長に告げた、「紋は桔梗(明智光秀の家紋)。明智であると見えます。」光秀が謀反に及んだと知る。
「是非に及ばず」と信長は言う。
本能寺に怒涛のごとく大軍がなだれ込む。
応戦する信長の家臣たちの中には森乱丸の2人の弟、坊丸力丸もいた。
信長も自ら武器を手に取り戦っていたが、「君主たるものが卑しい身分の者たちと戦うべきではない」と乱丸に諭され、うなずいた信長は女衆に逃げるよう指示してそのまま障子の奥に消えた。


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